沿革
1972年 7月 | 東京都千代田区番町にて開業(錠営繕業務・錠販売を含む) |
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1972年 10月 | 東京都営繕建築共同組合員となり営業部門を拡大 |
1973年 3月 | (有)日伸製作所とJLアンカーボルトを共同開発 |
1974年 10月 | 増資300万円(発行済株式の総数12,000株・総払込金600万円となる) |
1975年 4月 | 日本建築センターにおいてJLフックの性能評定が認められる。評定No.BCJ-C725 |
1976年 2月 | スラブ軌道にJLインサート指定受ける |
1976年 6月 | 北総鉄道スラブ軌道にJL-D51インサート採用受ける |
1976年 9月 | 国鉄直結枕木にJL-D51インサート指定受ける |
1976年 11月 | 国鉄ケーブル防護マクラギにJLインサート指定受ける |
1977年 1月 | 脱離防止型ヒューム管にJLインサート指定受ける |
1977年 2月 | 財団法人プレハブ建築協会より量産公営住宅用JLアンカーボルト推薦される |
1977年 6月 | 日本電信電話公社・局社用カーテンウォールにJLインサート指定受ける |
1978年 10月 | 枠組壁工法(2×4)住宅用基礎アンカーボルトが建設大臣認定となる認定番号第1099号 |
1979年 3月 | 首都高速道路公団・湾岸線道路遮音壁止用にJLインサート採用される。 |
1979年 11月 | 日本建築センターにおいて第2回JLアンカーボルト工法性能評定される。No.BCJ-LC-33 |
1980年 10月 | 羽田ヒューム管「ユニホール」にJLインサート指定受ける |
1982年 3月 | 新耐震法改正にともないJLアンカーボルト建設大臣認定・再認定になる |
1982年 10月 | 下水道協会より推進ヒューム管にJLインサート推薦される |
1984年 5月 | イギリス・クレテコ社と業務提携し、コンクリートスペーサを発売 |
1986年 1月 | 日本建築センターにおいて第3次JLアンカーボルト工法性能評定される。No.BCJ-LC-209号 |
1986年 10月 | 石川島建材工業(株)とファインセラミックスインサートの技術提携に合意 |
1986年 12月 | ドイツ・フリメダ社とリフトアンカー技術契約 |
1988年 5月 | イギリス・クレテコ社とコンクリートスペーサの技術提携契約 |
1988年 11月 | 国土開発技術センターにてセラミックインサートが吊足場施工法として認定される 一般土木工法技術審査証第63-Ⅲ号 |
1989年 1月 | リフトアンカーの国内製造を開始 |
1993年 6月 | JR鉄道建設公団向け軌道スラブにJLインサート・JLスペーサ指定受ける(PAT) |
1996年 3月 | 東京湾横断道路にコンクリートセグメントにCFCスペーサ、FCIインサート採用 |
1996年 7月 | 中国合弁会社無錫来福有限公司開業 無錫来福金属構件有限公司で、スチールセグメント量産開始。また、コンクリート型枠下請生産開始 |
1998年 6月 | 日本道路公団指定FBB工法にJL(PL)インサート金物指定される |
1999年 2月 | JR鉄道建設公団軌道スラブ版(PRC)に丸アンカープレート指定される(東北新幹線盛岡~八戸間) |
2001年 7月 | 創業30周年を期してホームページを開設 |
2003年 1月 | 台湾新幹線にJLインサート・JLスペーサ指定される |
2004年 2月 | 九州新幹線(鹿児島中央~新八代)、スラブ軌道部材納入 |
2004年 4月 | JRラダー枕木用インサート納入 シンガポール、チャンギ空港交通システム輸送鉄骨受注 |
2005年 6月 | プレストレスト橋アウトケーブル部材販売開始 |
2005年 9月 | 鋼製シース、樹脂シース製造販売開始 |
2006年 1月 | 中国無錫来福にレーザー加工機導入、コンクリート2次製品用型枠生産を本格化 |
2006年 8月 | 東北新幹線(八戸~新青森)、スラブ軌道部材納入 |
2007年 5月 | 九州新幹線(博多~新八代)、スラブ軌道部材納入 |
2008年 1月 | FCIインサート一体型の販売開始、M10~M24シリーズ化 |
2010年 9月 | 北陸新幹線・軌道スラブ部材を納入 |
2011年 2月 | 北海道新幹線・軌道スラブ部材を納入 |
2015年 | 補修分野にあと施工用インサートを販売開始 |
2017年 10月 | 阪和興業株式会社と資本提携 |
2021年 4月 | BiC株式会社を完全子会社化 |